父は、自らは技術者ではありません。でも、職人を大切にする人でした。不二木材工業にとって、職人が財産であることを知っていました。
何事にもコツコツと努力するタイプで、しつこくて、粘り強い。フローリングの製造でも施工でも、高い精度を求めました。現場では、作業の後始末や工事の点検など、当時、一般には求められなかったことまで常に意識付けしていました。でも、だからこそ良い職人も集まってきたのでしょう。
印象に残っているのは、職人たちの食事です。
高度成長の頃は、毎年1月から3月にかけて忙しく、東北や北海道から職人を集めていました。職人は、その日の仕事をできるだけ多く進めたいので、夕方が過ぎても作業を続けることが少なくありません。食事の時間は不規則になりがちで、職人が泊まる宿屋はあまり良い顔をしませんでした。そこで父は、職人たちが自分のペースで仕事をできるように宿舎をつくり、寝泊まりしてもらうようにしたのです。
食事づくりは母の仕事です。期間中の毎日、母は本社ビルの3階に泊まっている10人から15人もの職人たちのために朝食をつくり、弁当を渡して送り出していました。
父も、そんな職人たちと常に近い場所にいました。寝食を共にして、食事も職人とまったく一緒のメニューでした。飾らず、おごらず、時に職人を鼓舞しました。